アネモネのPSO2での冒険の記録です。 マ○オが攻略できないライトユーザーなので、攻略に役立つような内容はないです。 まったり遊んでる記録を残してます。更新も記事の内容もマイペースです。 リリパ成分多め。りっりー♪ (所属シップ・4(メイン所属)&10 メインキャラ:アネモネ サブ:メア、アネモネ(デューマン) 他) ※ブログ内の私のイラストは転載禁止です。
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12期物語はこれでおしまいです。
アネモネの物語の、その結末。

来期は何もしないか、メア君のお話か…あるいは、SSとか書こうかな。

【12期物語後半】


02 【幸せの在り処】

 その人物は唐突に彼らの元へとやって来た。彼をただ一人、夜宴へと招待する為に。

「”アネモネを助けたいなら、明日そのチャンスの場を設けてあげる”――それが、彼女からの伝言」

 まだ日の出前の静かな黎明の時間、偽らぬ悪魔の姿のままのイリスはそう”伝言”を伝えにイシュエルたちの元へと訪れる。

「チャンス……?」

 睨みつけるような険しい眼差しを言葉と共に返すイシュエルに、イリスは対照的な落ち着いた表情で「そう」と頷いて見せた。

「……ただし、条件がある」




◆◆◆



 イリスが伝言を伝えてきた日の夜、イシュエルはどこか落ち着かない様子で、居間のソファに腰掛けて本を眺めていた。
 古い呪術書をパラパラと手持ち無沙汰に捲りながら、彼は険しい面持ちで何かを考えるように目を細める。

「……恐い顔」

 不意にそう声をかけられ、イシュエルは思わず顔を上げる。視線を声の方へ向けると、うさこを抱いたメアが立っていた。
 メアは疲れて眠るうさこを抱いたままドアの傍に立ち、イシュエルを観察するようにじっと見つめている。そんな彼にイシュエルは、少し小さな声で返事を返した。

「どうした? メア君は、俺に何かよーじでもあるのかい?」

「別に……用なんてありませんけど」

 メアはぶっきらぼうにそうイシュエルへ返し、そんな彼の返事をイシュエルはなぜかおかしそうに目を細めて見つめる。そして彼は突っ立っているメアに小さく手招きし、言った。

「そんなとこでうさこ抱いたままずっと立ってるのも疲れるでしょ。こっちきて座ったら?」

 メアが自分と話をしたいと思っているのはわかっていたイシュエルなので、彼はそう言ってメアを誘う。メアは不機嫌そうな顔をしながらも、しかしイシュエルの誘いに従って彼の向かいのソファに腰を下ろした。

「……」

 数秒の沈黙。
 ソファに座ったメアは眠るうさこの頭を撫でながら、何か言いたそうな様子を見せる。しかしそわそわとするだけで、なかなか口を開けないようだった。
 本に視線を落としているように見せかけながら、そんなメアの様子を観察していたイシュエルは、きっかけが無くては彼が話せない様子だったので、小さく笑った後にこちらから声をかけることにする。

「メア君はもしかしてアレかな、俺のこと心配してくれてる?」

「はぁ?!」

 イシュエルの一言に、メアは思わず大袈裟な反応を返してしまう。その大声にうさこが一瞬目を覚まし、メアはひどく慌てながら小声でイシュエルにこう返した。

「なんで俺があなたを心配するんですかっ」

 予想通りの反応過ぎて思わすイシュエルが笑いを堪えると、メアはまた不機嫌そうに彼を睨みつける。その様子に今度はイシュエルが慌て、彼は「悪ぃ」と返した。

「なんだー、心配してくれて様子見に来たわけじゃないのねー」

「……だから、どうして俺が心配なんてしなきゃいけないんですか」

 憮然とした表情で顔を背けるメアに笑いを堪えつつ、イシュエルは「それは、だってー」と口を開く。

「俺が一人で明日、アネモネのとこ行かなきゃだしー。それで心配してくれてるのかと思ったのですよぉ」

 ふざけた口調で言いつつも、イシュエルのその言葉は重い意味を持つ。メアは表情を真剣なものに変え、改めてイシュエルを見返した。

「……本当に、一人で行くんですか?」

 再び目を閉じたうさこをそっと撫でながら、メアは不安げな様子でそう問う。そのメアの様子に、イシュエルも表情を少し引き締めたものに改めて頷いた。

「あぁ。それがあちらさんの要求だからなぁ」

 今日突然にイシュエルたちの元へと訪ねてきたイリスという名の悪魔は、イレインからの伝言を伝える為にこちらへ来たようだった。
 そしてその伝言というのは、アネモネに関する事。イリスは警戒するイシュエルたちに、こう伝言を残して立ち去った。

――”アネモネを助けたければ、イシュエル一人で実験場へ来なさい”

 それがイレインからの伝言だった。
 イシュエルが言うには、実験場とはかつてイシュエルやアネモネがイレインと共に暮らし、彼女から呪術を学んだ屋敷の地下に存在する場所のことらしい。

「……絶対、それって罠ですよ……一人で来いなんて、そんなのどう考えても……」

 不安げな表情でそうイシュエルに訴えるメアだが、それは当然イシュエルも理解していることだった。だがそれでも彼は、イレインの要求どおりに一人でアネモネの元へ向かおうとしていた。

「罠かもしんねぇけど、一人で来いって言うからにはそうしとかねぇと」

「別にあっちの言う事聞く必要ないじゃないですかっ。そんなの危ないですよ、俺たちも行きますっ」

「でも、一人で来いってのを無視してアネモネになんかあっても困るしなぁー」

 自分とは対照的にあまり不安な様子の無いイシュエルを見て、メアは心配というよりも苛立ちのような感情を彼に向ける。

「ホントに一人で大丈夫なんですか? あなたがそんな様子じゃ、罠じゃなくても不安です」

 じとっと恐い顔で自分を睨むメアにイシュエルは思わず苦笑し、そして彼は薄く目を閉じて静かに語った。

「いや、俺一人で行くよ。まぁ俺が頼りなくて心配なのもわかるけど、丁度いいケジメの付け方にもなりそうだしさ。十中八九罠だろーけど、それでも今回はあちらさんの言うとおり、俺一人で行かせてくれ」

「ケジメ?」

 首を傾げるメアに、イシュエルは「そう」と頷く。そして彼は続けた。

「ナマモネと約束したんだ。今度こそ、あいつを助けるって。……ずっと俺は、アネモネから逃げてたからな。一人で来いって言うんなら、一人で行って助けてくるさ。今更そんな要求程度でビビって逃げたりなんかしねぇよ」

「そ、そういう問題じゃないと思うんですけど……」

 イシュエルの言い分に、メアは尚更心配したような表情となる。だが、一人で行くと決めた彼の気持ちも少しだけ理解出来た。

「……あなたが、本気でアネモネさんに罪滅ぼししたいって思ってるって……そーいうのは、わかりました。だけど、助けられなければ意味無いんですよ? かっこつけて一人で行って、あなたにまで何かあったら……」

「あ、やっぱ俺の心配してくれてるんだねーメア君! やっさしー!」

「ち、ちが……だから、こんな時までふざけないでください!」

 本気で自分を睨みつけてきたメアに、さすがにイシュエルも「わりぃわりィ」と謝罪を告げる。そして少し真剣な表情となり、彼はメアにこう返した。

「いや、でも心配してくれてありがとうな。……だけど、俺もあいつに負けるわけにはいかねぇんだ。イレインの思惑は大体わかってる」

「思惑?」

 首を傾げるメアに、イシュエルは苦々しい表情を一瞬見せてから、「あぁ」と頷いた。

「どうせ俺のことだから、一人で来いなんて言ったら尻尾巻いて逃げるとでも思ってんだろ。あるいは、バカ正直に一人で行っても、返り討ちに出来ると考えてるんだろうな」

「じゃあ、やっぱ俺たちも一緒に……」

「お前らが一緒でも、結局あの女は『一人じゃ助ける勇気も実力も無い』と、俺のことバカにするんだろーなぁ。性格捻じ曲がってるイヤなヤツだぜ」

 『一人で来い』という伝言は、イシュエルを追い詰める有効な先手となった。彼のプライドとアネモネへの贖罪の気持ち、そしてナマモネとの”約束”から、逃げる事も協力を仰ぐことも出来なくなった。だけど、だからこそイシュエルは絶対に負けられないと、静かに闘志を燃やす。

「あの女の手のひらの上で転がされるような事態はカンベンだけど、そう見せかけて逆に返り討ちにしたら俺ってかっこいーってなるだろ? だからまぁ、一人で行ってきますよん」

 いつもどおりな軽薄な態度を見せつつも、イシュエルは「絶対に助けるから」とメアに誓いを繰り返した。

「……本当に、大丈夫なんですか? あなた一人で……助けられるんですか?」

 確認するように、メアは不安混じる眼差しでイシュエルへと問う。その問いにイシュエルは彼を真っ直ぐ見返したまま、「あぁ」と首を縦に振った。

「信じてくれ、メア」

「……俺を呼んだ理由が理由だったし、普段のあなたの行い見てると『信じろ』なんて言われてもこれっぽっちも信じられないけど……」

 メアは小さく溜息を吐きながらも、しかし少しだけ笑みを見せてイシュエルを見返す。

「そこまで言うなら……あなたにお任せ、します。アネモネさんには俺、直接いっぱい文句を言いたいんですから……ちゃんと、連れ戻してきてくださいね」

 メアのその言葉に小さく苦笑しながら、イシュエルは「あぁ」と頷く。そうして彼はもう一度、「ちゃんと、助けてみせる」と独り言のように呟いた。


『私を助けて、イシュエル……』

 約束した言葉が頭の中でリフレインされる。
 そう、助けると誓った。今度こそ助けて、彼女に幸せを、と。それが彼女の願いだと、そう信じていたから。



◆◆◆



 ここに足を踏み入れたのは何年ぶりだろう。そう思いながら、イシュエルは硬い石畳の床を鳴らし足を進めた。
 地下深くに作られたドーム状の実験場は、広さのわりには最低限の照明しか無い為に薄暗い。そして長い時間が経っても消えない濃い血の匂いが、纏わりつく冷えた空気と共に体を包み込んで不快な記憶を思い起こさせる。いや、狂気、恐怖といった表現の方が適切なのかもしれない。

 この場所は、彼とアネモネにとっては最悪の記憶が残されているだけの場所だった。
 ここは元はイレインが、呪術実験を行う場所として用意した地下空間だ。だけどイシュエルにとっては、呪術実験の印象よりも別の印象が強い。
 何年もこの場所で自分たちはイレインに”修行”を受け、アネモネは虐待に近いそれに心を壊していった。そして最後に彼女はこの場所で、狂気に飲まれながらイレインを破壊した。それがこの地下の実験場だったのだ。
 あの日から二度と足を踏み入れることはなかったこの場所を指定してきたイレインの性格の悪さを再認識しつつ、イシュエルは中央付近まで進んだところで足を止める。

「よぉ、約束どーり一人で来てやったぜ、イレイン」

 天井高いドーム内で反響する自分の声を聞きながら、イシュエルは前方の闇に向けてそう語りかける。彼は身に付けた黒の長外套のポケットに手を入れながら、余裕を見せた態度で闇の先を見据えていた。
 当然その態度には虚勢が含まれていたが、それには自分に勢いをつける意味もある。イシュエルは不敵な笑みを口元に湛えながら、反応の無い闇へ向けてもう一度語りかけた。

「いるのはわかってんだよ。さっきからてめぇの胸糞悪ぃ気配がしてるからな」

 イシュエルは「だからさっさと出て来いよ」と、少し苛立ち含みの声で呼びかける。すると薄い照明の下に、一人の人影が足音無く現れた。その人物を目の当たりにし、イシュエルは驚きに目を見開く。

「おま、えは……っ」

「……久しぶりね、イシュエル」

 アネモネと瓜二つの顔形で、だけども彼女とは全く違う妖艶な笑みを口元に湛えて微笑むその人物は、確かにイレインだった。
 彼女は驚くイシュエルに目を細めて笑いながら、「あぁ、あなたとはこの姿であうのは初めてだったかしら」と告げる。そして彼女は自分の体を指先で撫でつつ、イシュエルにこう続けた。

「そんなに驚く事? だって、私の体はアネモネが壊してしまったんだもの。これは代わりの体よ。……魂の無い肉体の生成くらいは、あなたにも教えたから出来ることでしょう?」

「よりによってアネモネかよ……どこまで悪趣味なんだ、てめぇは」

「あなたの姿のほうがよかった?」

 嫌悪を吐き捨てるイシュエルに感情の無い笑みを返し、イレインは彼にこう語りかける。

「本当にちゃんと一人で来たのね。えらいわ、イシュエル。勇気のある子に育ってくれたのね」

 突然に感情ある慈愛に満ちた眼差しをイシュエルに向け、イレインはイシュエルにそう告げる。それを聞き、イシュエルは反対に拒絶する感情の眼差しで忌々しげにイレインを睨みつけた。

「あぁ、てめぇの要求どおり一人で来てやったぜ。だけどてめぇの思惑通りには行かせねぇからな」

「どういう意味かしら」

「俺がお前を倒すってことだよ」

 イシュエルはそう言うと、カスパールを呼び漆黒を身に纏う。彼がカスパールを手にしたことに対してイレインに驚く様子はなく、むしろ彼女は予定通りだというように楽しげな微笑を見せた。
 しかし戦闘体勢のイシュエルに対し、イレインはただ落ち着いた様子で警戒する様子もなく佇んでいる。彼女はイシュエルと戦う意思は無いように見えた。いや、実際に彼女自身には彼と戦う意思はないのだろう。

「アネモネを返してもらうぜ、イレイン。てめぇをぶっころしてでもな」

 イシュエルのその言葉に、イレインは朱色の唇の両端を吊り上げて笑う。そうして彼女は無防備な姿勢のまま、笑みと共にこう真実を伝えた。

「返す? ……残念だけど、アネモネは死んだわ」

「なっ……」

 イシュエルの目の前に、突如何かが黒の羽根と共に降り立つ。”彼女”はイレインとイシュエルの間に片翼を散らして舞い降り、俯く顔をゆっくりと上げた。

「そう、アネモネは死んだ。そして”そこ”に、新たに生まれ変わった」

 ゆっくりと顔を上げる異形の存在は、蒼を宿す紫電の眼差しでイシュエルを捉える。直線で繋がった視線の先に見た存在に、イシュエルは驚愕に目を見開いて硬直した。

 羽根を散らして舞い降りたのは、死人のような肌色に怪物じみた触手を腕に持つ謎の存在。
 人の女性に近い姿形をしたその異形は、だけどイシュエルのよく知る存在の姿の名残を残していた。
 そしてそれを肯定するかのように、イレインの残酷な言葉が響く。

「残念だけど、そこにいるのはただの化物よ。……いいえ、”アネモネだったもの”と言った方が、あなたは傷つかないかしら」

 意思の無い空虚な眼差しがイシュエルを見つめる。大きく姿形が変わってしまっても、それは確かに”彼女”だった。
 助けると、そう誓った存在。

「そんなものでも助けたかったら、存分に戦うといいわ。彼女に勝ったら、彼女を返してあげる。……彼女が元に戻る保障はどこにもないけれど」

 イレインの嘲笑が、どこか遠くのもののように感じる。

「アネ、モネ……?」

 自分の呼びかける声に、異形へと堕ちたアネモネは一瞬寂しい目をしたように見えた。それは自分の妄想なのだろうか。

「さぁ私の可愛い子、存分に戦うといいわ。カスパールなんて半端な玩具じゃ、あなたは満足できなかったでしょう? ……可愛い悪魔の子の血を吸ったバルタザールと共に、存分に暴れなさい」

 アネモネの瞳に、更なる蒼の光が宿る。それは目の前の敵を殲滅する、ただそれだけの意思にとりつかれた狂気の光。
 かつてイレインを破壊した怨嗟の刃が、今、イシュエルへと向けられた。



◆◆◆



 今更、後悔などしていないはずだった。『助けて』と願ったこと、その意味も含めて。
 なのに、どうしてこんなにも胸が苦しむのだろう。どうしてこんなにも、悲しいのだろう。

「……さん……ナマモネさん?」

「!?」

 メアの呼びかけに気がつき、ナマモネはハッと顔を上げる。彼女は自分を心配した眼差しで見つめるメアに気づき、「なんでしょう」と慌てた様子で返事を返した。

 イシュエル一人がイレインの元へと向かい、屋敷に残された二人。
 イシュエルとアネモネの無事を願う歯がゆい時間を過ごす二人は、それぞれにイシュエルたちを心配しながら彼らの帰還を待っていた。

「いえ、なんでしょうっていうか……」

 どこか上の空で本を眺めていたナマモネに声をかけたメアは、困った表情で戸惑い気味に彼女へこう告げる。

「泣いてるから……ど、どうしたのかなって……」

「え……?」

 メアに指摘され、ナマモネは初めて自分が泣いていた事に気がつく。彼女は自分の頬を流れる雫に指先で触れ、驚いたように目を見開いた。

「涙……?」

 茫然と呟く彼女の様子を、メアは心配した様子で見つめる。彼は戸惑いつつも、ナマモネに「大丈夫ですよ!」と声をかけた。

「イシュエルさん、大丈夫です! きっとアネモネさんのこと、助けてくれます!」

 いつもは素直な言葉は避けるメアだが、ナマモネを心配して彼女を励ますようにそう言う。いや、この言葉には彼自身も不安で、そんな自分を励ます意味があるのかもしれない。

「え、ええと……だ、だから……泣く事、無いかなって……」

「……ごめんね、ありがと……」

 メアの不器用だけど純粋な優しさに、尚いっそう胸が締め付けられる。ナマモネは涙をそっと拭い、彼に「そうだね」と笑みを返した。

「イシュエルは、きっと私の願い……叶えてくれますね」

「そ、そうです、大丈夫ですって!」

 自分の笑みに同じく笑顔を返したメアに、ナマモネももう一度微笑んで「はい」と返す。再び零れそうになった涙を、彼女は本を読むフリをして俯き隠した。



 願う事は唯一つ、彼に私をころしてほしい。
 私があなたをころしてしまう前に、あなたの手で私を止めてほしい。
 願う事はただそれだけなのに、どうしてこんなにも辛く悲しいのだろうか。なぜ、こんなにも心が苦しいのだろう。



◆◆◆



 助けると、そう誓った。
 今度こそ逃げず目を背けず、彼女を助けるのだと。だけど……――


「アネ、モ……ネ……」

 小さく名を呼ぶ声は、ひどく掠れていた。その呼び声に応える声はどこにも無い。
 四肢を触手に固定されて身動きが取れないイシュエルの首筋に、自身の血で濡れる細い触手が絡みつく。

「ぁ……く、ぅ……」

 酸欠に喘ぐ呼吸は荒く、視界が霞む。だが落ちそうになる意識は、皮肉にも痛みが覚醒させた。

「か、はっ……」

 腹を貫く触手は自分の血に濡れる。服はすでに朱に染まりきり、足元に広がる血溜まりと出血の多さは気づきたくない量だった。自分が生きている事、さらに意識があることが奇跡に思う。

 バルタザールに侵食されて異形へと堕ちたアネモネは、蒼く発光するその瞳に映したイシュエルを”敵”を認識し、彼に容赦なく襲い掛かっていた。
 一方でイシュエルはアネモネを傷つけることが出来ず、追い詰められる状況になっていた。

「どうしたの、イシュエル……そんなことじゃ、彼女を助けられないわよ」

 嘲笑含みのイレインの声に反応する気力も無く、イシュエルはただ表情を苦痛に歪める。それでも彼は自分を捉える触手の拘束を解こうと、僅かに右手を動かした。
 『カスパール』と、ほとんど声にならない声で呟き、カスパールは彼の首を緩く絞める触手に侵食し始める。それに気づくと、アネモネは首を締める触手を引っ込めた。

「はっ……は、ぁ……っ」

 まともに呼吸が出来るようになり、イシュエルは喘ぐように呼吸を繰り返す。そうしてまともに喋れるように意識が回復すると、彼はもう一度「アネモネ」と彼女の名を呟いた。

「……レ……」

 狂気の蒼を宿した瞳は、イシュエルを”破壊”の対象として映す。
 バルタザールに心身ともに支配された彼女に彼女の意思は無く、ただ破壊衝動だけで動く殺戮の存在に成り果てていた。

「……どうし、て」

 その、はずなのに。

「どうしてお前は泣いているんだ……なぁ、アネモネ」

 ひどく悲しげな眼差しをアネモネに向け、イシュエルは彼女へと語りかける。
 蒼を宿す虚無の瞳からは、透明に輝く雫が零れ落ちていた。

「アナタ、ダレ……?」

 イシュエルを見つめるアネモネの唇が、か細い問いを紡ぐ。
 意思など無いはずの彼女の瞳から零れ落ちる生暖かいものは、彼女の苦しみを伝える感情そのものだった。

「ダ、レ……たス、け……テ……」

「アネモネ……」

「――」

 もう一度、アネモネの唇が小さく動く。音を伴わないその呟きに気づき、イシュエルは悲愴なその言葉に目を見開いた。

『私を助けて、イシュエル……』

 助けてと、そう願うアネモネの言葉。
 彼女が願う事の、その本当の意味。

「……そうか……お前が、願ったこと、は……」

 気づいてしまった彼女の願いに、イシュエルはただ茫然とした。
 彼女が本当に願うことの先には、誰の幸せも存在しない。少なくとも自分はまた辛く苦しい思いをするだろう。だけど、アネモネは願っているのだ。今度こそ”助けて”、と。

「っ……!」
 苦渋の選択だった。それでもイシュエルは”それ”を選択する。その先に幸福な結末など無いとわかっていても。

「カスパール」

 助けると誓い、その決意の証として手にした呪いの名を呼ぶ。
 カスパールは名を呼ばれると無数の黒き刃へと姿を変え、彼を拘束する触手を切り刻んだ。

「ア、ぁ……っ!」

 小さく悲鳴を上げるアネモネを無視し、拘束を解いたイシュエルはさらにカスパールを変形させる。深淵の闇よりもなお暗い呪いは、彼の手元で禍々しい断罪の剣となった。

「アネモネ……俺は、お前を……」

 血塗れの手で握り締めた剣の切っ先を、愛しい人へと向ける。彼女の望みを叶える為に。
 夥しく血にぬれた石畳を蹴り、イシュエルはアネモネへと駆け出す。

「……リ、がと……ウ……」

 禍の刃が微笑む彼女の体を貫く。小さな押し花の花びらが、崩れ落ちる彼女の体と共に宙を舞った。



◆◆◆



 幸せな夢を見ていた。とても幸せな夢だった。
 それは私が願い、憧れていた未来。叶うはずの無い幻想。


『イシュエル、メアくん……まって……!』

『アネモネさん、遅いです! もー、走ってくださいー! 早く行かないと間に合いませんよ!』

『メア君は急ぎすぎだと思うけどなー。そんなに限定新作スイーツとやらを買いたいわけ?』

『当然です! 何の為に今日は早起きしたと思ってるんですか! 売り切れてたらこの努力、全部無駄になっちゃうじゃないですかー!』

 イシュエルとメア君と私で、三人で普通の日常を過ごす未来。私が憧れていたもの。
 そんなの叶うはずは無いと、大切なことを忘れた私でも薄々気がついていた。それでも私は夢を見ていた。

 ずっと大切なひとたちと何にも怯えることなくひっそりと暮らしていけたらいいなって。
 そう、夢をみていた。



◆◆◆



「……」

 彼女が”夢”から目覚めた場所は、彼女のよく知る場所だった。
 イシュエルが借りてから長く彼と共に暮らしていた、ここはヴァルトリエ郊外の屋敷だ。その自室で彼女は目覚める。
 しばらく茫然とした様子で白い天井を眺めていた彼女は、だけど直ぐ傍で自分の名を呼ぶ声を聞いてそれに反応した。

「アネ、モネ……さん?」

 首を横に向けると、そこには少年がいた。長い耳と女性的な顔立ちが特徴の少年。誰だろうと、一瞬彼女は考える。

「……メアく、ん」

 ひどく喉が渇いていて、名を呼ぶ声は掠れていた。それでもすぐに思い出した彼の名を呼んでみせると、少年は驚きの表情を見せた後に表情を泣きそうに歪める。

「アネモネさんっ!」

 メアは泣きそうに表情を歪めた直後、ベッドに横たわったままのアネモネに抱きつく。そして彼はそのまま声を押し殺して泣いた。

「メアくん……? なんで、ないてるの……?」

 アネモネは驚きながら、メアに問いかける。だけどメアは泣きじゃくるばかりで返事は無い。
 アネモネはしばらくされるがままに抱きつき泣くメアの様子を見ていたが、やがて彼女はそっと右手を動かす。アネモネはメアの背中に腕を回し、彼を抱きしめ返した。

「メアくん……ごめん、ね?」

「っ……なに、が……」

「メアくん、泣いてるから……だから、ごめんねって……たぶん、わたしがわるいんだよね……わたし、また、メアくん、泣かせちゃったんだよね」

「……アネモネ、さ……んっ……」

「なぁに?」

「……おかえ、り……なさい」

「……ただいま」



◆◆◆



「ナマモネ、すまない……俺は……俺の、選択は……」

 メアがアネモネと共に彼女の自室にいる頃、”あの死闘”から帰還したイシュエルはナマモネと共に自身の部屋にいた。
 血塗れだったはずの彼の体に、今は傷は一切見当たらない。彼はベッドに腰掛け、自分に背を向けて立つナマモネにもう一度「すまない」と呟いた。

「……なぜ、私に謝るの」

 イシュエルに背を向けたまま返事を返すナマモネの表情は、イシュエルからは見えない。返事を返すその声にも抑揚はなく、感情を読み取る事は難しかった。

「俺は……お前の願いを、叶えられなかった……それどころか、おれは……っ」

 イシュエルはうな垂れながら握り締めた拳に額を押し付け、謝罪を重ねる。許されることではないとわかりつつも、それでも彼はただ謝り続けた。

「すまない、アネモネ……っ」




◆◆◆



「……皆幸せな結末なんて、そんな都合のいい話は無いとはわかっていたけども」

 濃い群青の夜空の下に輝く帝都の明かりを見下ろしながら、イリスは一人寂しげな眼差しでそう呟く。
 誰に語るわけでもなく、彼は夜風に長い水色の髪を揺らしながら、一人の人間の決断とその結末を語った。

「イシュエルはアネモネを願いどおりに死なせた。だけど彼女を失った虚無感に耐え切れず、彼はイレインと取引をした」


 カスパールでアネモネを貫き、彼女の願いを一度は叶えたイシュエル。しかし彼は彼女の亡骸を前に、やはりそんな結末を受け入れる事は出来なかった。
 血塗れのままに茫然と動かぬアネモネを抱きかかえるイシュエルに、イレインが残酷に囁く。

『アネモネを助ける方法が一つだけある。取引をしましょうか、イシュエル』

 イシュエルの刻を戻し、彼を”修復”しながらイレインは取引を語る。イシュエルは無気力に彼女の言葉を聞いた。

『今すぐ私の力を継承すれば、アネモネはまだ助かるわ。でも時間がかかりすぎると、それでも手遅れになる。決断は今すぐにして、イシュエル』

『……たすかる?』

『生き返る、という意味よ。……さぁ、どうする? このまま彼女を死なせる? それとも……』

『……俺、は――』


 そうしてイシュエルはイレインと取引をした。アネモネを生き返らせる代わりに、永遠を生きる魔女にする取引を。
 同時に彼はイレインに罰を願った。身勝手な感情でアネモネを刻の魔女にする代わりに、自身もアネモネと同じ呪いを受けることを願った。彼女と共に永遠を生きる、と。

「アネモネが刻の魔女となり、イレインは永遠から解放された。少なくともこれで、彼女の望みだけは果たされた。皆が幸福になる結末なんて初めから存在しなかったのだから、仕方の無い事だけど……」

 イリスはそっと目を閉じ、深く息を吐く。

「きっと永過ぎる時間の中で、やがて二人で壊れていくのでしょうね。でも、それまでは……彼女の願いどおり、また三人での幸せを生きられるかもしれない。それを救いと取るかは、それぞれでしょうね」

「きゅ~、きゅきゅ~!」

 イリスの足元で赤い色のゼラチンうさぎが何かを手に持って鳴く。目を開けて視線をそちらに向けたイリスは、小さく笑って屈みながらゼラチンうさぎの持つものを受け取った。それは白いアネモネの花。

「うさお、ありがとう」

「きゅきゅ~!」

 受け取ったアネモネの花を大事に握り締めながら、イリスは再び視線を眼下の夜景へと向けた。

「そうして一つの物語が終わる。幸福も不幸もなく、ただあるがままの結末だけを残して……」


【幸せの在り処 END】

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