アネモネのPSO2での冒険の記録です。 マ○オが攻略できないライトユーザーなので、攻略に役立つような内容はないです。 まったり遊んでる記録を残してます。更新も記事の内容もマイペースです。 リリパ成分多め。りっりー♪ (所属シップ・4(メイン所属)&10 メインキャラ:アネモネ サブ:メア、アネモネ(デューマン) 他) ※ブログ内の私のイラストは転載禁止です。
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12期物語。
※びっくりするほどの長さで誤字脱字チェックがいつも以上に完全じゃないです!


「私を助けて、イシュエル……」

 そう、私は彼に願いを伝えた。それは壊れた私の、たった一つの願い。
 私は、私を助けてほしかった。彼は私の願いに、こう答えた。

「必ず、助ける……今度こそお前を助ける、アネモネ」

 翡翠のような綺麗な瞳の中に映る私は、すごく無理して笑っていた。
 あぁ、こんな笑顔じゃ彼に気づかれてしまう。私が願うことの、その本当の意味を。

「……ありがとう」

 私は笑う。感謝の言葉の裏に、精一杯の謝罪を込めて。
 私の願いのその意味に気づいた時、彼は『助ける』と私に誓った事を後悔するだろう。それでも私は助けてほしかった。

 私はあなたからは謝罪も贖罪も愛も後悔も懺悔も、何もいらない。
 ただあなたに願うことは、私を助けてほしい――それだけ。

プロローグ【私が願ったこと、その意味】


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01 【彼女が願ったこと、その意味】


「私を助けて、イシュエル……」

 涙ぐみながら、そう俺に懇願する彼女。
 愚かな俺は、その時の彼女の言葉の真意に気づかずにいた。

「必ず、助ける……今度こそお前を助ける、アネモネ」

 俺の言葉に、彼女は涙に濡れた眼差しのまま、ぎこちなく微笑む。
 痛々しい、だけど心から安堵したような笑みだった。その彼女の複雑な笑みの意味に気づく時、俺は自分の愚かさをまた知る事になる。

「……ありがとう」

 彼女の小さな手が俺の頬を撫でる。幼くなったその体を抱きしめ、俺はもう一度「助ける」と呟いた。
 それが俺自身にとって、どんなに残酷な意味の約束なのかも知らぬままに。


◆◆◆



 アネモネがいなくなったあの日、俺はメアに俺の知っていることの全てを話した。
 俺とアネモネのこと、メアを召喚した理由、アネモネが何故記憶喪失なのか、カスパールとは何か――知っている全てを、俺は彼に語った。
 それは、俺がメアに信頼される為に持ちかけた取引でもあった。アネモネを取り戻すには、メアの力が必要だ。だけどあの日、アネモネが自分を召喚した理由を知ってしまった彼は、俺とアネモネに対して不信感を抱くようになってしまっていた。
 俺はメアに、俺が知る全てを話すことにした。それを条件に、俺たちに力を貸してほしい、と。

『話を聞いて、それからあなたへの返事を考えます』

 俺の提案に、メアは険しい表情でそう返事を返した。俺はそれでいいと頷き、そうして彼に全てを正直に語った。
 それは長い話だった。長い長い、俺の罪の告白でもあった。


 最初に話したのは、俺の生い立ちだ。
 俺は幼い頃に両親を強盗に殺され、孤児になりかけていたところをイレインという女性に拾われた。この女が、俺とアネモネが囚われた闇の全ての元凶だった。
 彼女は呪術に精通した魔女で、俺は彼女の弟子となって彼女に呪術を学びながら、彼女に育てられた。

 イレインは美しい女性だった。漆黒の髪は艶やかに、陶磁器のような色白の肌は艶かしく、真紅の眼差しは紅玉のように妖艶で……だけど、どこか恐ろしい印象を持つ女だった。
 彼女は全てが異常だった。生気を感じさせない雰囲気や、感情の無い笑み、不自然なほどの美貌。まるで作られた存在なのではないかと疑うほどに、彼女は人らしさというものが欠けていた。
 なにより異常だったのは、何年も姿形の変わらない容姿だった。東洋のその美貌は何年も変わる事なく、同じ美しさを保ち続ける姿は別の意味で彼女は”魔女”なのだと錯覚させた。

 イレインは優しい人でもあった。いや、俺はそう勘違いしていた。
 両親を失い孤独になっていた俺に救いの手を差し伸べ、そして戦乱のこの世で生きる為にと俺に戦う術としての”呪術”の知識を手ほどきしてくれたのだ。何もかもを失い、悲しむ暇さえなく孤独に投げ出されていた俺を救ってくれた彼女は”優しい”のだと、幼い俺は勘違いをしていた。
 だから俺は、イレインの無茶な修行も当然のことなのだと受け入れていた。毎日血に塗れて意識を失う事が日常だったが、その度に彼女は俺を”修復”し、俺はそれさえも彼女の優しさなのだと勘違いをしていた。

 俺がイレインに拾われて数年、ある日イレインは見知らぬ女性を連れてきた。それが俺とアネモネとの出会いだった。
 イレインが突然連れてきたアネモネは、正気を失ったような虚ろな眼差しをしていた。イレインが着せた黒い外套の下は血塗れで、彼女の血なのかと心配したがそうではないと直ぐに理解した。

 イレインは俺に言った。『彼女は私の新しい弟子です』、と。
 今ならわかる。あれは”新しい玩具”という宣言だったのだ、と。俺と、そして彼女はあの女の玩具でしかなかった。悠久を生きる彼女の暇つぶしの玩具が、俺とアネモネだった。

 アネモネが弟子となり、イレインは彼女に一つの武器を与えた。それが”カスパール”だった。
 カスパールは変幻自在の武器で、使用者の望みどおりの形となって、使用者へ力を与える武器だ。意思を持つカスパール自身が、使用者の代わりに”敵”と判断したものへ攻撃の刃を向ける。
 イレインと同じく何者かの”魔女”の血を引くアネモネだったけど、それまで戦いとは無縁の生活を送っていた彼女には潜在的な能力はあっても呪術や戦いの知識は無く、そんな彼女にとってカスパールは彼女を即戦力と引き上げる頼もしい武器だった。

 ――それが、イレインから最初に説明された”カスパール”の説明だった。
 それを俺とアネモネは信じた。だけど、そんな都合のいい武器が存在するわけもない。カスパールの真実を、やがて俺とアネモネは知る事になる。

 アネモネがカスパールを手にしてから、アネモネは体調を崩すことが多くなった。顔色も目に見えて悪くなり、突如倒れることもあった。
 俺はそんな彼女を心配したけど、イレインは違った。まるで当然というように、死んだような顔色で倒れるアネモネを冷めた眼差しで見つめ、その度に俺にするのと同じように彼女を”修復”していった。

 カスパールを手にしてからのアネモネの異変に、さすがに疑問を抱いた俺はイレインに問い質した。本当にカスパールは意思を持つだけのただの武器なのか、と。
 するとイレインは『当然、そんなわけない』と俺に返した。俺がさらに問い質すと、あの女はカスパールの呪われた真実を俺に話した。

 カスパール、バルタザール、メルキオール――そう名の付く三種の武器がこの世には存在するらしい。
 それらは武器自体が意思を持ち、所有者の望みどおりの形となって所有者に戦う力を与える。非力な女性であろうと幼い子であろうと、その武器を手にすれば戦う力を手に入れることが出来るのだと。
 ただし、当然それには代償も伴う。三種の武器はそれぞれに呪われているのだ。その呪いが力の代償として、使用者を侵食する。具体的には、所有者の命を蝕み喰らうとイレインは言った。

 それぞれの武器が生まれた経緯は詳しくはわからないが、カスパールには妖精が、バルタザールには悪魔が、メルキオールには古の呪術師が封じられている。

 アネモネが継承したのはカスパール。それ以外の二種の武器は、イレインは所持していないようだった。所在も知らないと彼女は語った。
 ただ唯一持つカスパールを、彼女はアネモネへと譲ったのだと言う。
 ただし今のカスパールは長き時の経過で力を失いつつあり、弱体化しているらしい。そして魂を込められた呪いの武器は、ある特殊な力を持っているのだと。

 イレインは言った。アネモネにカスパールを継承させたのは、自分の継承者としてアネモネを選んだからだと。
 そしてイレインは、俺たちに自身の正体を語った。

 彼女は刻を司る魔女で、永久を生きている。
 カスパールは刻の魔女の証として、先代の魔女から受け継いだもの。彼女は刻の魔女である限り、死ぬ事は出来ない存在。魔女の力が勝手に働いて、彼女の刻を止めているのだと。
 不死を強制されている彼女は、その呪縛から解放されるために、自分の力を受け継ぐ存在を長く探していた。そして自分と同じ”刻の魔女”の血を引くアネモネを見つけ、彼女は自分の力をアネモネに継承することを決めた。
 だけど、アネモネは素質はあれど呪術に関しては素人だった。だから自分の力を継承出来るよう、自分がアネモネを育てようと思ったと語った。


 この話を聞き、アネモネはイレインに反論した。自分はそんなことを了承していない、と。
 永久を生きるなんて望んでいない、カスパールなんていらない。アネモネは、そう当然をイレインに訴えた。だけどそれに対するイレインの返答はどこまでも冷静で、残酷で。

『あなたは私に出会ったあの日、私に自分の命を差し出したはずでしょう? あなたの命は私のもの、どう使おうがあなたには拒否権はないの』

 そう告げられたとき、アネモネの絶望した表情は今も忘れられない。彼女とイレインがどんなやりとりで師弟関係を結んだのか俺は知る由もないが、アネモネはその言葉を聞いた後はもう反論する事はなかった。

 それからアネモネは、イレインの継承者としていっそう過酷な修行を課せられることとなった。
 逃げられぬよう、”痛み”で精神的にも呪縛をかけられ続けた彼女はやがて精神を病み、初めて出会った時以上に彼女の表情は虚ろとなっていった。それでも俺は彼女を助ける事が出来なかった。イレインの正体を知り、俺は恐くなっていたのだ。
 永久を生きる魔女であったイレインは、人の刻も自在に操ることが出来る。唯一死者の刻を戻す事は出来ないようだったが、それ以外ならば腕が無くなろうが腹を貫かれようが、彼女は刻を戻すことによって対象を完璧に”修復”することが出来る。気がつくと、彼女の能力に俺は強い恐怖を抱いていた。

 今までの俺は何度彼女に刻を巻き戻されていたのだろう。知らぬうちに、俺は俺自身の理を捻じ曲げられていた。
 イレインの衰えぬ美貌も、彼女自身の刻が歪み止まっているからなのだ。イレインという女に関わってしまったことを酷く後悔したが、だからといって今更俺は彼女から離れる事も出来なくなっていた。”痛み”で支配されていたアネモネと同じように、俺もまた彼女に長く恐怖を植えつけられていたのだろう。逃げ出す事も恐くて、俺はただ彼女の傍で弟子で居続ける、その選択をした。

 俺が臆病だったから、アネモネは日に日にやつれて衰弱していった。死なせてほしいと何度も口にするようになって、だけど彼女はイレインの呪いで死ぬことも出来ずにいた。彼女もまた、知らぬ間にイレインと同じ不死を強制されていたのだ。
 カスパールの継承からしばらくして、アネモネはイレインによって刻を止められていた。それを知ったのは、またその後日しばらくしてから。彼女はイレインとの契約どおり、彼女に命を拘束されていた。

 イレインは言った。アネモネに刻の呪いをかけたのは彼女の為なのだと。
 命を喰らうカスパールに寄生されても、自分がかけた呪いが作用して、アネモネは決して死ぬ事はない。だから彼女には感謝してもらいたいと、そうイレインは笑って俺に話した。そんな彼女に、俺は何も言い返せず立ち尽くす。アネモネはどんどん、あの女に追い詰められていった。


 俺はアネモネを心配していた。同じ囚われの身で、だけど俺以上にイレインに追い詰められていって、誰にも縋る事も出来ず壊れていく彼女。そんな彼女を心配していたのは確かだったが、だけど俺は彼女を助ける事は出来なかった。
 最初はアネモネも、俺に助けを求めていたと思う。俺に救いの眼差しを向けていた。だけど俺はそれを見て見ぬふりをして、アネモネはやがて俺に助けを求める事は止めた。いいや、俺だけじゃない。彼女は全てに期待することを止めていた。
 気づくと彼女の瞳には何も映らず、ただ止まった刻の中を彼女は虚ろに生きていた。……そう、思っていた。

 俺は、アネモネはイレインの言いなりになり続けるのだと思っていた。俺自身がそうだったから、彼女もそうなのだとばかり思っていた。だけど、現実は違った。
 最初から諦め、そして臆病だった俺とは違い、アネモネは世界を呪い諦めながらも反逆の機会を窺っていたのだ。

 何の前触れも無いある日、アネモネはカスパールを使い、イレインを殺害した。
 俺が気づき駆けつけたときにはもう既に、イレインはカスパールによって滅茶苦茶に切り刻まれた後で、美しかった彼女は原型を留めておらずただの肉塊と化していた。そしてそんな彼女の前で、血塗れのアネモネが虚ろに声を上げて笑っていた。あのときの光景は今でも忘れられない、ぞっとする悪夢だ。

 誰もアネモネに救いの手を差し伸べはしなかった。俺も彼女を見捨てた。その結果、彼女は彼女自身で刻の牢獄からの脱出を試みたのだ。そうして彼女は自由の代償に、完全に壊れてしまった。

 これはイレインが残した資料を読み後で知った話だが、カスパールはイレインの持つ刻の力を一時的に封じる力があるらしい。それをアネモネも知り、カスパールを使えば彼女から逃れられると考えたのだろう。
 そうして彼女はカスパールを使ってイレインを切り刻み、その狂気に呑まれて彼女は心を壊した。
 血と肉の欠片の海の中、肉片を顔にこびり付かせて笑う彼女を見たとき、俺は彼女から目を背け続けたことを心底後悔した。彼女をここまで追い詰めた責任は、俺にもあるのだと。

 壊れたアネモネを前にして、俺は謝罪を繰り返した。当然、そんなものはもう彼女の心には届かない。だから俺は――

『今まで何もしてやれなくて、すまない……』

 唯一今の俺が彼女の為に出来ること、俺はそれを彼女へ実行した。
 彼女の記憶を奪い、壊れる前まで彼女の記憶を戻す。それが、あの時の俺に出来る唯一精一杯の贖罪だった。

 そうして――


『イシュエル……? それが、あなたの……な、まえ……?』

 アネモネは正気を取り戻した。いいや、正確には狂う前の彼女にもどった。アネモネは俺を見つめ、俺を認識し、俺と会話出来るようになった。
 だけど彼女から原因となる痛みの記憶を全て奪った結果、アネモネは俺の知っているアネモネじゃなくなっていた。どこか幼くて、以前よりも弱くて、前とは別の意味で不安になるような彼女になっていた。

 俺はアネモネの経歴を詳しくは知らない。だけど彼女が決して幸福な人生を今まで歩んでいたとは思っていない。
 俺が初めて出会った彼女はこの世の闇ばかりを見てきたような眼差しをしていた。そんな女性が幸せを歩んでいたはずはない。
 だけど、だ。俺はせいぜいアネモネの辛い記憶というのはイレインの弟子となった期間だけのことだとばかり思っていた。俺の行った禁術によってそれ以上記憶をさかのぼってしまうほどに、彼女の人生は長く闇だったのだろう。

 正直俺は、ひどく幼くなってしまったアネモネに戸惑った。それは俺の知っている彼女とかけ離れた、俺の知らない彼女で……いいや、そうじゃないんだ。俺はただ、かつての彼女を……。
 これは俺の勝手な感情だから伏せるが、俺はアネモネの記憶を奪ったことを少し後悔した。俺は俺の勝手な感情で、アネモネを助けたことを後悔したのだ。彼女を壊したのも、助けた行為も全て俺の勝手な行いだと言うのに。
 俺は、どこまでも勝手な俺自身に腹が立った。だから俺は幼くなった彼女の面倒をみようと決めた。責任を取ろうと、そう考えたのだ。


 それからは、俺はアネモネを連れてヴァルトリエの帝都の郊外でひっそりと暮らすことにした。傭兵として国の為に働き、生計を立てる。そうやってひっそり暮らしながら、俺はいつしか違和感に気づく。
 アネモネはイレインの呪いを受けていた。だけど、彼女はイレインをころした。俺はそれでアネモネはイレインの呪縛から逃れられたのだと思っていた。


 アネモネが壊れたあの日から、一体何年の月日が立ったのだろう。アネモネは何年経とうとも、姿形が変わらなかった。まるで悠久を生きるイレインのように。
 いいや、アネモネだけじゃない。なぜか俺もあの日から一行に老けることなく、何年経とうと青年の姿形のままで。

 俺は言い知れぬ恐怖を感じながら、かつて俺たちがイレインと暮らして修行をしていた場所へ向かった。そこで残されていた資料を再度読み漁り、ひとつの仮説にたどり着いた。
 それはイレインは死んではおらず、アネモネの呪いは解けていないというもの。だがそれだけでは、俺まで歳をとらないのはおかしい。俺も知らぬ間に、あの女に呪われていたのだろうか? いいや、俺はあの出来事の日前までは正しく歳をとっていたはず。巻き戻された刻以外は、俺の刻は正常なはずだ。
 俺はもっと詳しく、イレインの残した呪術資料を読み漁った。アネモネに了承を得て、アネモネの体も調べた。そうして俺は、彼女にかけられた恐るべきイレインの呪いの正体に気づく。
 イレインはアネモネの反逆にあう直前、彼女に別の呪いをかけていたらしい。彼女の刻を止めるだけじゃなく、彼女に関わる全ての人間の刻を歪ませ止めるようにと、彼女の体には呪いがかけられていた。
 なぜそんな呪いをイレインはアネモネへとかけたのかは……きっと、アネモネを幸せにはしないためなのだろうと、俺はそう思った。アネモネに関わる者たちを巻き込み刻を止め、彼女は災厄を巻き取らす存在として永久に苦しむようにと。

 アネモネの呪いは終わっていなかった。それどころか、悪化していた。彼女を苦しめる呪いは、彼女に関わるもの全てに影響を及ぼすようになっていたのだ。
 その事実を知って俺は悩んだ。俺は、俺が大事だった。かつての俺は俺を守る為に、彼女からの助けを求める声を聞えないふりで無視していた。このまま今の彼女に関わり続ければ、俺は彼女と共にやがて自滅する道を歩むだろう。イレインのように精神が歪んだバケモノに成り果てると思う。

 だけど……――


◆◆◆


「……俺は今度こそアネモネを助ける事にした。俺はあいつと自滅するかもしれない道を選択したんだ。本当に今更な罪滅ぼしだけど、それでも俺はあいつを助けたかった……」

 長い告白をその言葉で一旦終え、イシュエルは重い溜息のようなものを吐き出す。一方で彼の話を聞き終え、メアは当初とは少し違った表情で彼を見つめていた。

 二人が今いる場所は、以前と同じイシュエルが借りているヴァルトリエ郊外の小さな屋敷。そこはアネモネがいなくなった後となんら変わりは無い。だた一つの変化は、彼女がいないだけで。

「……あの、それで……どうして、俺を召喚した……いえ、なんで俺を呼んでころそうとしたんです、か?」

 長い話を聞き終えた後のメアの心境は、話を聞く前とは違った。話を聞く前はただ単にアネモネやイシュエルに対して不信感を抱いていたが、二人の事情を聞いてからはやはり自分の事についても訳があったのだろうと冷静に考えられるようになる。

 あの日、イレインはメアにアネモネたちが自分を召喚した理由を語った。それはメアをカスパールで貫き、メアをカスパールに喰らわせて失われたカスパールの力を取り戻すというもの。
 カスパールという武器が命を喰らう武器だとイシュエルからも説明された今、イレインの語った理由はやはり真実だったのだろうとメアは改めて思う結果になる。しかし一方でイシュエルたちにも事情があったのだと、彼は理解もした。
 勿論今の話だけで二人を信じて、元々『自分をころそうとしていた』二人を許したわけではない。だけど二人と過ごした日々はメアにとっても大事なもので、自分を召喚した理由を忘れたアネモネはともかく、召喚理由を知っていても自分をころせなかったというイシュエルの言 葉は信じられるような気がしていた。
 そう、そうやって直ぐに信頼を思い出せるくらいにメアにとっても二人との日々は重要な意味を持ち、それはイレインの言葉で生まれた不信感だけで切り離せることは出来ない大切なものとなっていた。

「あ、理由は……すこし、知ってます……カスパールの力を、取り戻すため、とか……」

 メアの複雑な心境を反映した戸惑いの含まれる問いに、イシュエルは苦く笑って「あぁ」と曖昧に頷く。そうしてから彼は説明を考えるように沈黙した後、彼の質問へ答えを返した。

「……アネモネに呪いがかけられているとわかり、イレインが死んでいないとわかった。いや、勿論術師の死後も効果が継続する呪いはいっぱいあるけどな。でもアネモネの呪いは強力で、俺なんかがどうにか出来るもんじゃなかった。あんだけ強力な呪いはイレインの実力もあるだろうけど、術者が生きてなきゃ継続維持出来るもんじゃない」

「そういうものなんですか?」

「少なくとも、あいつの呪いは解呪を妨害する印まで刻まれてて……今もそれは機能している。誰かの魔力によって、恒常的に……あれはイレインによるもんだろう。それ以外、考えられねぇ」

 イシュエルはもう一度深い溜息を吐いてから、「現実、お前はイレインにあったみたいだし、アネモネもあいつに連れてかれた」と呟く。

「……」

「イレインが死んでねぇと俺は推測し、アネモネの呪いを解く為にあいつともう一度イレインの残した資料から呪いを解くヒントを探した。そうしてカスパールの力が本来の状態じゃないことを思い出し、本来の力を取り戻してもう一度イレインに挑めば、もしかしたら呪いを解くことも出来るかもしれないと考えた」

「それで、俺を……?」

「悪かったと思ってる……今は、お前をカスパールの犠牲にするなんて微塵も考えちゃいない。アネモネだってそうだろう……元々あいつは、召喚した存在を犠牲にすることに躊躇いを感じてた。それでも自分のことだから、自分でケジメをつけたいっつって、あの日あいつは一人で儀式を行ったんだ。お前を呼び、カスパールの生贄にするまでを全部一人で行うって、そう言ってな。……その結果が、あいつのさらなる記憶の混乱と消失だったけど……」

 俯き、ひどく疲れたような声音でそう返事するイシュエルを見て、メアはますますどう反応をしたらいいのかわからなくなる。彼やアネモネが自分に刃を向けようとしていたことは事実だったけれども、やはり二人にも事情があったのだ。そして今イシュエルはそれを反省し、メアに理解と協力を求めている。

「……ど、うして、俺だったんですか?」

 自分の中の迷いを一旦保留にし、メアはそう問いを重ねる。イシュエルは少し顔を上げて、そしてメア自身も知らなかった彼のことを話し始めた。

「あぁ、それは……お前が純粋な悪魔じゃなかったからだ」

「……え?」

 首を傾げるメアに、イシュエルは少し苦笑しながら「やっぱ自分では知らなかったんだな」と言う。

「ええと……カスパールって珍しいもんを好むんだよ。そういう存在の力を吸収するって言うか……お前は元々は天使だったんだろ?」

 イシュエルの言葉に、メアは文字通り目を丸くする。

「え、なにそれ……え?」

 困惑した様子で首を傾げるメアを見てイシュエルは声を押し殺したように笑い、メアはそんな彼に少しムッとした表情で「どういうことですか」と問うた。

「どうもこうも、ただの事実を言ってるだけだよ」

「え、俺が……天使?」

「ホントに自分で知らなかったんだな……お前、アレだよ。堕天したんだろ」

 イシュエルの話を聞いてもまったく理解不能といった様子で、メアは困惑の表情を返す。イシュエルはそんな彼に『どう説明したらいいのか』と、こちらも少し困った様子を見せた。

「えーっと……そもそもアネモネはカスパールの生贄として、イレギュラーな存在を召喚しようとしたんだよ。希少性が高く、通常ではない存在……カスパールはそういうのを一番に好むから。もう一つ、俺たち呪術師は聖なる存在は召喚できねぇ。そーいうのは専門外っつーか、相性最悪だからな」

「あぁ、なんとなくわかります……」

「だけど例外的に、堕天した存在だったら呼べるわけよ。元・天使だったら召喚出来る。で、この堕天した存在ってのはカスパールが好む意味での例外にも当て嵌まる。だからアネモネはカスパールの生贄として、堕天した存在を呼んだんだ。そしてあいつに呼ばれたのが、お前」

 イシュエルはそう説明した後、「お前がなんで堕天したのかとか、自分でそれを知らないのかとかは俺たちにはわからねぇけど」とメアに告げる。メアも自分のことなのに自分が元々天使で、そして魔に堕ちた存在だったなんてことは全く知らなかったので、ひどく驚いた様子で彼の言葉を聞いていた。

「え……俺、ホントにそんなの知らないし、覚えてないんですけど……」

「……あぁ、別に今はお前のソレが問題だったりの話じゃねぇしな。今は、気にすんな……気になったら、その内に自分で調べてみりゃいい。それが良い悪いは俺には判断できねぇから、自己責任だけどな」

 ”自己責任”と言われ、メアは少し不安げな表情を浮かべる。イシュエルはそんな彼を気遣うように、もう一度「今はあまり深く考えないほうがいいぜ」と彼に告げた。

「それより、他に質問はあるか? アネモネのこと、俺のこと……イレインのこと。お前には知ってること、全部話すって決めたからな。疑問があれば聞いてくれ」

 イシュエルにそう言われ、メアは彼の言うとおり今は自分のことについては考えるのは後にしようと決める。メアは少し考えた後、「そういえば」と口を開いた。

「ナマモネさん? あの、先日から家にいるあの人……アレ、アネモネさんなんですか?」

 実は今”ナマモネ”という名の謎の幼い少女が、先日から同じ屋敷で暮らしている。アネモネがいなくなった後に唐突にイシュエルが連れてきた彼女について、イシュエルはメアにこう説明していた。

「なんか前、かる~く『アネモネみたいなもんだ』とかって説明聞きましたけど……俺、あの時他に正直考える事とかいっぱいで、詳しく説明聞く余裕なかったって言うか……」

 すると丁度いいタイミングで、その謎の少女が二人の元へとやってくる。

「イシュエル、今日の夕ご飯の仕度ってもう終わってます? まだなら、外に行くついでに買い物してこようと思いますが……」

 見た目は10歳そこそこに見える幼い少女は、どこか面影はアネモネに似ていた。だけど見た目と違って中身が幼かったアネモネとは反対に、ナマモネと呼ばれる彼女は見た目の年齢以上に喋りも行動もしっかりしており、正直メアは彼女を自分より年上に感じてしまう。
 ナマモネはメアと目が合うと小さく微笑み、メアはそんな彼女の反応にどうしたらいいのかと俯いた。一緒に暮らし始めて数日経過したが、何者なのかを詳しく聞いていなかった為に、未だにメアは彼女が苦手だった。嫌いとかではないのだが、接し方がわからないと言うべきか。だから良い機会だからと、メアは彼女を理解する為にイシュエルに彼女についてを聞く事にしたのだ。

「あぁ、ちょうどいいな。本人もいるし、ちゃんと説明しとくかぁ」

「……本人とは、私のことですか? 一体なんのお話をしていたんです?」

 イシュエルの言葉に怪訝そうな表情を返し、ナマモネは小首を傾げる。そんな彼女を「ちょっとこっち来て」とイシュエルは呼び、ナマモネは怪訝な表情はそのままに彼の元へ向かった。

「なんですか?」

「メア君にお前のこと、ちゃんと説明してなかったからさ。ナマモネちゃん、自分で自己紹介できる? 出来るよね、ナマモネちゃん良い子だもんね! 俺、面倒な説明もうイヤーっなの。つーわけで、自分の事は自分で説明してちょーだいっ」

「……あなたって人は……もー、まだ説明してなかったの?」

 ナマモネは呆れながらも「しょうがないな」と呟き、メアへと向き直る。

「いいじゃん自己紹介ぐらい自分でしなよ」

「……私のことは自分が説明するって言ってたのはどこの誰ですっけ……まぁ、いい加減なあなたの言葉を素直に信じるのがそもそも間違いでした」

「ひどい! ナマモネちゃんは毒舌だねっ! 俺、知らなかったよ!」

「……なんで嬉しそうなの……きもちわるい……」

 そんな会話をする二人の様子を見て、メアは何となく二人が以前からの知り合いだということは理解する。元々二人は親しげだったし、イシュエルが連れて来たのだから当然なのかもしれないが、尚の事ナマモネが何者なのかメアは気になった。
 するとナマモネはメアの疑問の眼差しに気づいたのか、「あ、説明ですね」と彼に視線を向ける。

「うーんと……私は、アネモネの記憶から生まれた存在、なのかな。何ていうんだろう……アネモネのカケラ? 今のアネモネの記憶の消失の原因については、話聞きましたか?」

「あ、はい……今、イシュエルさんに……」

「だったらそこの説明の手間は省けますね。私は彼がアネモネから奪った記憶、それから生み出された人格で……記憶そのものと言ってもいいのかな? うーんと、アネモネが失った記憶の部分が私なのです」

「え……?」

 よくわからないといったふうに首を傾げたメアに、ナマモネも困った表情を浮かべて「あぁ、いざ説明するとなるとホントに難しいですね」と呟く。イシュエルもそれに同意なようで、隣で何度も首を縦に振った。

「イシュエル、首振ってないで説明に協力してくださいよ」

「ダメだ……俺にはもう長い話をする気力が残ってねぇ……」

「……もぉーっ」

 イシュエルが役に立たないとわかったナマモネは考えるように腕を組んで沈黙し、そしてしばらくして口を開く。

「ええと……イシュエルは私……いえ、アネモネを助ける為に彼女から彼女を壊した原因の”辛い記憶”を奪ったんです。奪った記憶はイシュエルが保存してたんですが、やがて彼はそれを彼女の装備品に宿して……」

「装備品?」

「ほら、俺が作ってやってたアネモネのフード付きのローブよ。可愛いアレ」

 イシュエルが口を挟むと、メアは思い出した後に「あぁ、あの不気味な服!」と言う。それを聞き、イシュエルとナマモネは揃って悲しそうな顔をした。

「えー、可愛かっただろーあの服ー」

「うええぇ~、不気味だったんですかぁ、私~! そんなぁ……」

「え、なんですか二人してその反応……まるで俺の感性の方がおかしいみたいな……」

 二人の反応に少々引きつつ、メアは「っていうか、アネモネさんのあの服にはそんな秘密があったんですか?」と問うように言う。

「時々アネモネさんが着てない時とか、勝手に廊下を徘徊してたりして恐かったけど……そ、そんな驚きの秘密が……っ!」

「えへへ、徘徊は仕方ないですよね……時々運動しないと歩き方とか忘れちゃいそうだったから~」

 小さく舌を出し、可愛らしい仕草で誤魔化そうとするナマモネだったが、あの不気味に動いたり目が光ったりしていたアネモネの服の正体を知ってしまうと、彼女に対して全然可愛らしさなんて感じない。むしろあの服の不気味さを知るメアには、彼女が恐怖に映った。

「ずっとあの服に、ナマモネさんが入ってたんですか!?」

「いやいや、さすがに服を洗濯するときはナマモネの中身抜いてたぞー」

「えぇ、ただでさえ寒いヴァルトリエで水洗いは鬼のように寒いですしね。想像するだけでもブルブルです」

「そんなことはどーでもいいですよぉ! ……そうか、でも……まぁ、少し理解しました……」

 メアはなぜか疲れたように溜息を吐き、自分が理解した範囲の話を確認の意味を込めて二人に語る。

「イシュエルさんが奪ったアネモネさんの記憶がナマモネさんで、ナマモネさんは今までもアネモネさんの傍にいたんですね」

「そう! そのとおりー!」

「ですね、大体そんな感じなのです」

 イシュエルとナマモネが頷き、続けてナマモネはこう説明を付け加える。

「ずっと彼女の傍で彼女を見守ってきた……だけど、私は彼女を守れなかった……悔しくて……せめて、今度は私も助けたいんです。だから、イシュエルにこの体を作ってもらったんです」

「つく、る……?」

 メアの疑問の眼差しが自分に向くのを見て、イシュエルは「おっと、そこは企業秘密だ」と即答える。

「いや、俺まだ質問してないんですけど」

「べ、べつに俺はアブナイことはしてねぇよ。ナマモネのはただの俺お手製の肉体にこう、フシギパワーを詰めただけで……大体アレだって、人体練成とか人工生命体とか作ってそーな奴らはもっと帝国中にうじゃうじゃいるだろっ! 俺はわるくねぇ!」

「誰にいい訳してるの……? っていうか、私は人工生命に含まれないんですか?」

「え、うーんと、えーっと……ナマモネちゃんはアレ、企業秘密のお肉を捏ねて繋ぎをまぜまぜして出来た肉塊を創業から味の変わらない秘伝の生命スープに絡めて出来上がりだから手順的には煮込みハンバーグ作るのに似てるよね。だから君の分類は煮込みハンバークってことにしようか、お料理なら全然合法だろうし」

 イシュエルが適当な事を言い終えると同時に、ナマモネは傍にいたうさこを引っつかんで彼にぶん投げる。それを見たメアは「やめてー!」と叫び、うさこが顔面にヒットしたイシュエルも濁った悲鳴を上げた。

「誰がハンバーグよ! あなたをミンチにしてあげましょうか?!」

「ひぃ、ごめんなさい……アネモネ……いえ、ナマモネちゃんがこんな凶暴で元気な子だとは知らなかった……っ!」

 イシュエルとナマモネのやりとりを見て、思わずメアは少し笑ってしまう。彼らの事は、一度は『信じられない』と強く思ったことは確かだ。
 だけどずっと孤独で、家族にさえ見捨てられていた自分にとって、彼らは初めての友達で、そして家族以上に家族らしい存在だった。そんな彼らをメアも心から彼らを憎む事は出来ず、嫌うことさえも出来ない。むしろ、『助けになりたい』とさえ思ってしまう。

(あぁ、こんなふうに思っちゃうなんて……ホントに俺は悪魔じゃないんだな……)

 自分が悪魔らしくないことは自覚していたけど、優しさは情に弱い自分に苦笑いが出てしまう。
 メアはまだ言い合う二人を見ながら苦笑を漏らし、そして彼はこう口を開いた。

「……話は、大体理解出来ました」

 静かな声でそう言葉を呟いたメアに、イシュエルとナマモネは言い争うのをやめて彼に視線を戻す。

「あぁ……納得、してくれたか? いや、納得はできねぇと思うが……ただ、俺たちの事情を知ってもらえたら、それでいいんだ」

 真剣な表情となり、どこか申し訳無さそうに眉根を寄せてそう言うイシュエルに、メアは数秒の間の後に小さく頷く返事を返した。

「そりゃ……まぁ、人のこと勝手にころそうとしてたことは許せないですけど……事情があったのは、理解しました。ちゃんと話してくれたことは、嬉しいです」

 メアの返事を聞いて、イシュエルは複雑な表情のままこちらも小さく頷く。そうして彼は改めてメアにこう告げた。

「メア……俺たちの事情にお前を巻き込んでしまったことは、本当に申し訳ないと思っている。その上でこんな事を頼むのは図々しいとは思うんだが、俺たちに力を貸してくれないか?」

 イシュエルの普段見ないひどく真剣な眼差しに、メアは少し驚きながら彼を見返す。

「頭を下げろって言うなら下げるし、土下座しろって言うならする。正直俺たちだけじゃアネモネをあの女から取り戻せるかわからねぇんだ……だから、協力してほしいんだ」

「や、やめてください、頭下げろとかそーいうのは結構です……っ! それに……まぁ、話、ちゃんとしてもらえたから……」

 メアは困った様子でそう返した後、少し照れくさいのかなんなのか、目を逸らしつつ「いいですよ」と小さく呟いた。

「し、仕方ないっていうか……大体俺、アネモネさんいないと元の世界帰れないですから! だ、だからまぁ、協力します……」

 孤独だった元の世界に戻ることなど、いつの間にか考える事もしなくなっていた。だからこれは”いい訳”だ。自分にも、いつの間にか孤独から自分を救ってくれた人を助けたい気持ちがある。素直ではない自分だからこんな言い方になってしまうけど、相手もそれはわかっているのだろう。

「……あぁ、すまない。……ありがとう、メア」

「な、なんですか……あなたがそんなマジメな顔でお礼を言うときもちわるいです……っ」

 イシュエルの真剣な言葉を素直に受けるのも気恥ずかしくて、ついメアはそんな返事をしてしまう。だけどイシュエルは気にした様子もなく、優しげに笑った後にいつも通りの意地悪い笑みを浮かべる彼となった。

「そーかそーか、じゃあマジメなのはやーめたっ。メア君、感謝のチューしてあげよっか?」

「もっと気持ち悪い……」

「ですね、私もドン引きです」

「あぁっ! 二人のその虫けらを見るような眼差しに興奮しちゃうっ!」

 いつも通りに気持ち悪いイシュエルに戻り、メアもまたいつも通り彼に冷たい反応を返す。だけどそれが当たり前の日常に思えて、そして心地よいと思ってしまう。いつの間にかこれが自分にとっての、当たり前の日常となっていた。
 ただ一つ、足りないものはやはり……。


◆◆◆


 夕食を終えた時間、居間でナマモネは一人何か本のようなものを読んでいた。
 ひどく真剣な表情で、しかし時々笑みを零し、あるいは悲しげな眼差しとなりながら、一つ一つの文字を目で追っていく彼女。そんな彼女に、ふと誰かが声をかける。

「ナマモネちゃん、なーにをそんな熱心に読んでるんだ?」

 声をかけられ、ナマモネは驚いたように顔を上げる。彼女が視線を向けた先には、ラフな恰好に着替えたイシュエルが笑顔で立っていた。
 ナマモネは少し笑みながら、向かいのソファに腰をかけるイシュエルにこう言葉を返す。

「……日記です。アネモネの日記」

「あぁ……またそれ読んでるのね」

 どこか呆れた様子のイシュエルの反応にナマモネは不満げな表情を返し、「いいじゃないですかー」と言った。

「別に悪いとは言ってないって。ただ、何回も読んでるよなぁーっと」

 イシュエルはふと真面目な顔になって、ナマモネにこう聞く。

「それさぁ、楽しい思い出とかいっぱい書いてある?」

「え?」

 ナマモネは少し考えるように首を傾げ、そして小さく笑んでイシュエルに「えぇ」と返した。

「いっぱいお友達がいて、毎日たくさんの思い出が書かれてます……幸せですね、彼女は」

 どこか寂しげな眼差しを日記に落としながら、ナマモネはそう呟くように言う。そんな彼女を、イシュエルはまた真剣な眼差しで見つめた。

「なら、いいんだが……」

「……まだ、後悔しているの?」

 唐突なナマモネの言葉に、イシュエルは驚きながら彼女を見返す。

「え、なにが……」

 咄嗟にそう返事を返したイシュエルに、ナマモネは彼の心を見透かすような視線を彼へ向けた。

「”私”の記憶を奪ったこと」

 ナマモネのその一言に、イシュエルはあからさまに動揺を見せる。気にせず、ナマモネはこう続けた。

「後悔する必要なんてない……よ」

「アネ……モネ……」

 ナマモネは小さく溜息のようなものを吐き出し、驚いた様子のまま自分を見つめるイシュエルにもう一度「後悔する必要は無い」と告げた。

「あなたが記憶を切り離してくれた後の私は、確かに幸せだった。……ううん、”彼女は”、だね。あなたは負い目を感じてアネモネの面倒を見てるみたいだけど……いいんだよ? そんなもの、感じなくても。だって彼女はあなたに救われたんだもの」

「……本当に、あいつは幸せだったんだろうか……俺の選択、間違ってなかったんだろうか……」

 思わず呟かれたその言葉は、普段表に出せないイシュエルの本音だった。
 ずっと不安だった。自分の選択は正しかったのだろうか、と。
 残酷な過去を知らずに無邪気に日常を過ごすアネモネの姿を見ていると、これでよかったのだと思う反面、時々過去を取り戻そうとするアネモネの姿にひどく胸が痛んだ。このまま過去を曖昧にして何も知らないままに生きてほしいと願う一方で、彼女は過去を求めているのだからいつかは語るべきなのだろうかと、そう悩む思いが罪悪感を募らせる。

「アネモネは過去を思い出したがっている……俺はこのまま、知らないふりをするべきか? あいつの為にと、知らないふりをするのが正しいだろうか……」

 一度口をついて出てしまえば、苦悩する本音は懺悔のように吐き出される。
 額に手を当てて俯くイシュエルを前に、ナマモネは数秒の沈黙の後に、静かにこう彼へ言葉を向けた。

「あなたも読んでみる? これ」

 ナマモネの言葉にイシュエルは顔を上げる。視線を向けると、ナマモネはアネモネの日記を彼に差し出していた。
 イシュエルは差し出された日記に視線を向けつつ、戸惑った様子で「いや……」と曖昧な返事を返す。そんな彼の様子を見て、ナマモネは何かを思う様に目を細めた。

「恐いの?」

「……恐い、の、かもな」

 掠れる声で絞り出されたのは、正直な気持ちだった。
 そう、恐かった。本当に彼女は、”あの日”から幸せだったのか。それを知るのが恐い。自分の選択が間違っていたのかもしれないと、それを知ってしまうことになるから。

 もう一度「恐いんだ」と呟いたイシュエルに、ナマモネは鋭い眼差しを向けたままこう告げた。

「だったら尚更読んで。恐いのなら、その恐怖から逃げないでよ。ずっと私を助けなかったこと、悪いって思ってるんでしょ? 申し訳ないって、そう思ってるんでしょう? ならもう逃げないで……読んでよ、イシュエルっ!」

 最後は叫ぶように、ナマモネはそうイシュエルへ訴える。いつの間にか泣きそうに震えていた彼女の声に気づき、イシュエルはハッとした様子でナマモネを見た。

「アネモネ……」

「……ちゃんと私と向き合うつもりがあるなら、読んで。恐い? じゃあ覚悟を見せて。じゃなきゃ私、やっぱり許さないよ。あなたのこと、ずっとずーっと恨んでやるんだから」

 ナマモネが差し出す日記帳に視線を落とし、イシュエルはそっと手を伸ばす。情けなく震える指先でそれに触れ、彼は一瞬の躊躇いの後に日記帳を受け取った。

「……本当に、読んでいいんだな?」

 日記を受け取ったイシュエルはそう今更確認するように、ナマモネへと問いを向ける。ナマモネは彼をまっすぐ見つめながら、静かに頷いた。それを見て、イシュエルは覚悟を決めた様子で日記帳を開く。そうして彼はずっと知るのを恐れていたものへと目を落とした。

 赤い革張りの日記にはアネモネの小さな文字で、他愛も無い日常の出来事が毎日綴られていた。

『今日はみんなでお花の木の下で、ごはんをたべた。ピンクのお花はさくらっていうらしい。イシュエルがおしえてくれた。きれいでやさしいかんじのお花だと思った。たくさんの人とはじめておはなしして……』

 毎日毎日、些細な出来事でさえも文字にして記憶する。もう二度と忘れないようにと、見聞きし感じた出来事を一つ一つ書き記す。

『おし花を作った。ミソサちゃんがもってきてくれた、わたしと同じなまえのアネモネのお花。フェンディちゃんが、それをおし花にしようって、いってくれた。作るの少しむずかしかったけど、フェンディちゃんがおしえてくれて……』

 そこに苦しみや痛みや苦悩はなく、ただあるがままの日常を書き綴り、日々を確かな幸せとして感じ生きていた彼女。そんな彼女の姿が、彼女自身の手でそこに刻まれていた。

『えいゆうさんといっしょに、わたしは明日たたかいに行く。メア君にはへいきなふりしたけど、ホントはすごくこわい。今日もこわくて、ねむれない。イシュエルもわたしをしんぱいしてた。こんなおくびょうなわたしにできること、なんだろう。できること、あるのだろうか。でも、せめて逃げないでたたかいたい。わたしにもたくさん、守りたいものあるから……』

 それは彼女が生きた証だった。何も怯える必要も逃げる理由も無い、一人の人間のただ真っ直ぐに生きた証の記録がここにはあった。

「……」

 そして記録は唐突に途切れる。空白の頁は、彼女がいなくなった日から続いていた。それが意味する事を考えると、すごく胸が苦しくなる。そしてずっと”これ”から逃げていたのだと思うと、自分の情けなさに自分自身へと怒りのような感情が込み上げた。
 そのまま空白の頁を捲り、日記の最後の頁を見ると、何かが挟まっているのに気がつく。イシュエルは挟まっているものに、そっと指先で触れた。

「……アネモネの、花……」

 彼女と同じ名を持つ花、それは直ぐに散ってしまう儚さの象徴だった。カスパールに寄生された彼女と同じように、一瞬の生を咲き、散るはずの花。
 だけど分厚い日記帳に挟まれたその花は押し花となり、枯れゆくことなくそこにあった。

「……私は幸せだったよ、イシュエル」

 何か想う眼差しで押し花に触れるイシュエルに、ナマモネはもう一度そう告げる。彼女は泣きそうな瞳を一度閉じ、そして深呼吸の後に目を開けた。

「大丈夫だよ、あなたが怯えることなんてなかった。わかったでしょう……彼女は、もう一人じゃなかった。孤独じゃなかった。大事な人がいて、守りたいものがあって……あの頃の私じゃ考えられないくらいに、彼女は満たされていたんだよ」

 イシュエルは押し花と共にゆっくりと日記帳を閉じ、顔を上げる。気づくとナマモネは彼の傍に立ち、微笑んでいた。

「だからお願いだよ、イシュエル」

 小さな手を伸ばし、彼女は日記を持つ彼の手にその手を重ねる。

「私を……アネモネを助けて。この日々があったから、彼女にもう悔いは無いの。孤独だった心は救われたから……あとは、彼女の最後の望みを叶えてあげて。それが出来るのは、あなたしかいないから」

「……たす、けるさ……その為に俺は、カスパールを手に取ったんだ」

 アネモネから引き剥がされた呪いの武器を手にした理由は、半端な覚悟ではないと証明する為だった。
 自分の命をかけてでも彼女を助けるとそう証明する為に、自分はこの体に禍を憑依させた。そのことはナマモネも理解しているはずだ。だから今更彼女が自分に願うことを、イシュエルは少し疑問に思う。
 そしてそんなイシュエルの疑問を知ってか知らずか、ナマモネは寂しげに微笑んだ後に、ひどく真剣な眼差しとなってこう続けた。

「約束だよ。この先に何があっても、惑わされず……彼女が望む救いを、あなたの手で……」

 どこか違和感のある彼女の望み。だけど、残酷な真実をまだ何も知らないイシュエルは違和感の意味に気づく事は無い。

「私を助けて、イシュエル……」

「必ず、助ける……今度こそお前を助ける、アネモネ」

 イシュエルのその返事を聞き、ナマモネは痛々しく微笑む。
 その笑顔の意味をさえも気づけぬまま、イシュエルは彼女へ”救い”を誓った。

「……ありがとう」

 告げられる礼の意味は謝罪なのだと、それもまだ彼は気づくことなく。


◆◆◆


 薄く月明かりが降り注ぐ窓辺で、彼女は小さく歌を歌っていた。何の歌なのかはわからない。歌詞は曖昧で鼻歌に近いそれは、意味の無いただの音の羅列なのかもしれない。だけど旋律はどこか物悲しさを感じさせるものだった。

「……ェ……ク、ハナ……ヲ……」

 紫電の眼差しは薄く蒼を宿し、窓から覗き見える白銀の月を見つめる。だけどそこに意思は無く、ただ虚ろに存在するものを眺めているといった様子だった。
 そんな彼女が囚われた部屋に、誰かがドアを開けてやってくる。細身のシルエットのその人物は、イリスだった。

「何を歌ってるの?」

 訪問者に気づく様子もなく、気にせず何かを歌い続ける彼女に、イリスは彼女にと持ってきた食事を傍に置きながらそう問いかける。だけど彼女はそれに答えることなく、遠くの月を見つめながら歌を紡ぎ続けた。
 イリスも答えが返ってこない事を気にはせず、ただ少し哀れむような眼差しを彼女へ向けた。

「アネモネ」

 イリスは寂しげに彼女を見つめたまま、歌う彼女の名を呼ぶ。その名を呼ばれた瞬間、歌は途切れた。
 アネモネの眼差しが、ゆっくりとイリスへ向かう。

「……ねぇ、あなたはアネモネの花言葉ってなんだか知ってる?」

 唐突にそう問いかけるイリスを見つめたまま、アネモネは何も返事は返さない。彼女は右手に何かを大事そうに握り、空虚な眼差しでイリスを見返した。
 イリスは湖水色の眼差しを細め、こう続ける。

「薄れゆく希望とか恋の苦しみとか、寂しい花言葉が多い花だけど……こういう花言葉もあるんだよ」

 アネモネが握るものに視線を移し、イリスは彼女へと教える。

「”信じて待つ”」

 アネモネの手に握られたものは、小さな押し花だった。彼女と同じ名の花で作られた押し花を、異形へ堕ちた彼女はずっと握り続けている。
 何にも興味を示さず、虚ろな眼差しでただ遠くを見つめるだけの彼女が、唯一執着して持ち続けるその小さな花に宿るのは希望か否か。

「……あなたは何を信じて、何を待つんだろうね」

「……」

 何も答えないアネモネは、だけど花を握り締めた手を僅かに動かす。イリスはアネモネに背を向け、「来るといいね、あなたが信じる人」と呟いた。

【彼女が願ったこと、その意味 END】

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